編入か再受験か論争
タイトル見て、ああまたかとうんざりした人もいるでしょうね。
大学を出て(あるいは出る予定で)医学部を目指す人間が一度は考える問題を今日は扱おうと思います。
うんざりした人もいるだろう、というのは、ブログやnoteで編入生や再受験生が必ず一度は取り上げるトピックだからです。私もこれらの媒体で毎回見てきましたが、受験者が必ず悩む問題なので、一応個人的な見解を述べてみようと思います。
まず私は編入生ですが編入を基本的におすすめしません。理由は以下です。
- 大学ごとに出題される科目も難易度も求められる人物像も違いすぎる
- 人によってはお金がかなりかかる
特に前者は深刻です。2科目or4科目orその他(数学、課題作文など)、高校レベルor大学教養レベルor研究者レベル、地元密着で残ってくれる人を求めているorそういうこだわりはない、などなど大学ごとにカラーが違います。自分がその大学にあっているかを見極め、ちゃんと勉強すれば合格の可能性が飛躍的に上昇すると思いますが、「合ってる大学がない」「合ってるかどうか見極められずとりあえず人気の大学を受ける」などの場合結構苦しいんじゃないかなというのが私の意見です。
その大学が自分にあっているかどうか?というのは非常に複雑な話なのですが、以下の軸によって概ね決定されるでしょう。参考程度に聞いてくださいね。
- 大学が課している筆記試験の科目が十分点を取れるか?(専攻とかはあまり関係ないです)
- その大学が自分に縁のある立地か?(自身の出身地や出身大学がその都道府だと一番良い)
前者は筆記試験、後者は面接で威力を発揮します。
その他、一般的に言われているのは募集要項の「求める人物像」をみて判断する、という方法がありますが、アレ役に立たなくないですか?抽象的な記述が多くて「地元密着型かな?」とか「研究者を求めてるっぽい?」とかそういうふんわりした予想しかできない気がします。
地元密着型かどうかは確かに重要なのでチェックしておくべきかと思いますが、それより自分がその地域出身かどうかのほうがよほど強いです。
例えば旭川はこのタイプですが、10名合格するうち8名が地域枠(その地域に本人か家族が3年以上?住んでいる人の枠)の人間だったってマジ?一般枠から取る気無いじゃん……と私は思いましたね。別にそれ自体をどうこういう気は全くないのですが、最初からもっと言うといてや、と思わなくもありません(夏の北海道って高いんですよね)。
大学ごとにそういう検討を求められるので編入はめんどくさいです。難易度も内容も全く違います。英語が得意な帰国子女、生命科学の分野でプロ級の人、文系出身で特に強みがない人(私)、それぞれに戦えるフィールドが違うので、それを認識して挑むことがまず求められます。
さて、お金がかかるという話ですが、これは一長一短で、(国公立の)再受験と違って一発勝負ではなく、複数の国立大学に出願可能であることに由来します。お金さえ払えば、日程がかぶらない限りいくらでも受けることができます。1校3万円です。ただ、そのぶん受験料がどんどんかかっていく他、交通費もかさみます。地方だと飛行機ですからね。旅行気分で行きますと食費とか宿代とかもどんどんプラスされていきますしね……(自戒)トータルで1校7-8万円になるでしょうか。
仕事をやめた受験生は非常にきついです。まあ札束で殴って合格を買うと思えば大したことはないのですが(もちろん勉強が一番大事なので、金さえ出せば合格できるという浅はかな考えは最初に捨てるべきです)。
編入試験は複数校に併願するのがデフォルトですが、絞って受ければ出費をそのぶん減らすことが可能です……リスクも多少増えますが。一方受験校を増やしすぎるのも対策不足や疲弊の原因になって逆効果なんですよね。そういう難しさも編入にはあると思います。選択肢が多いからといって楽にはならないのです。
ここまで編入のデメリットを述べてきましたが、再受験のデメリットも述べておきましょう。
- 数学が課される
- 1年生からやり直し
- センター試験関連のゴタゴタに巻き込まれる
こんなところですかね。
数学が課されない医学科は私立も含めて確か帝京大学だけではないでしょうか。私は数学アレルギーが激しすぎるのと、センター試験と共通試験のあの騒動に巻き込まれたくなく、編入を選択しました。例の騒動本当に迷惑な話ですよね。
編入をおすすめしないとは言うものの、ではこれらのデメリットを甘んじて受け入れたいかと言われれば微妙です。帯に短し襷に長しですね。
編入か再受験かで迷っている方、数学に苦手意識がないなら再受験、ド文系で克服もできなさそうなら編入という選び方でどうでしょう。
とはいえ数学だけ家庭教師つけるとか、なんかやり方はあると思うので1年遅れることを考えると再受験の方がいいような気もしますが……正解はない問いなので、両方の人に話を聞いてみるといいかなと思います。
バイトがまた入ったので明日書けるかなー頑張りまーす
富山受験の思い出
富山の募集要項が出たみたいですね。
富山は課題作文と英語のみの筆記試験からなる一次試験で、後者は180分の長丁場です。また、医学系ではない英和辞典の持ち込みが認められます。
私が出願したのは予備校の先生に勧められたためで、英語に特に苦手意識もなかった(得意意識もありませんが)ことが理由です。ここが私の初戦でした。
じゃらんのパック旅行で北陸新幹線と宿をとり、いざ初富山です。
前日富山駅で友人へのお土産(砂糖菓子)を物色し、ホテルに荷物を置いて富山駅前のお寿司屋さんに行きました。回るお寿司だったのですが、旬のサクラマスが美味しすぎてお会計が5000円を超えてしまいました……また行きたいですね。今年はホタルイカが豊漁で安いらしいです。私はシロエビも好みです。美味いものがあるところはいいですね〜
朝はこの入試のためにバスが増便されており、運転手さんの「とみだいゆきです」のアナウンスを聞きながら20分位かけて富山大学まで向かいます。
初夏の富山大学は吹く風が心地よく、古墳の上に建っているだけに見晴らしも良くてああいいところだな、と感じたことを思い出します。広くあたらし目のキャンパスで少しワクワクしました。
まず受付で受験票照合です。終わると入室時間まで待機させられますが、まあ人が多かったですね。この学士編入学入試ははじめの方はかなり人が多いです。特に富山など2科目(生命科学の試験を英語でやるので実質1科目)の大学は人気なので受験者も多いです。5名の募集に対して応募100人などはザラです。
「おっ、ひさしぶりー元気してた?」などという他の受験者同士の会話を傍で聞き「何年も受けてる人がいるんだなあ」と思いつつ入室、課題作文が始まります。
確か「あなたが北陸地方の医療に貢献できることは何か」みたいなお題だったと思います。見た瞬間
知らんがな
と思いました。完全に対策不足です。というか出願時に書かせればいいのでは?などと頭の中でぶーたれながら小学生並みのゴミみたいな作文を錬成しました。
お昼を挟んで総合問題(生命科学の知識も含めた英語問題)です。思い出すだけで苦痛です。3題の長文を180分で解きますが、紙をめくるだけで大変です。内容は認知系の実験や動物実験をして、その結果をまとめたりレビューを読んで批判点を述べたりする問題だったような……英語で書く問題もあった気がします。
一点、「complication」を文の中で訳させる問題があったのですが、「合併症」という訳を知らず「複雑さ」とか書いてしまったのは覚えています。あとでKALSの英語の単語リスト(市販の問題集の巻末に載っているアレ)を見るとそれが書いてあって非常に悔しかったですね。あと辞書役に立たなすぎ。一応ブックオフで紙の辞書を買ったのですがまるでだめでしたね。ないほうがマシ。
つらすぎて終わったあと一番に教室を出ていきました。放心状態の中バスに揺られ、ますの寿司を買って新幹線に乗って失意の中帰宅しました。北陸新幹線の中でおばちゃん集団に囲まれ、席を代わってくれとお願いされたことしか覚えていません。
結果?ええもちろん不合格です。入試の厳しさを痛感する、ある意味いい経験ができたと思います。どれだけできなかったのか、今度開示請求してみようと思います。
これから受けに行く皆さんもとりあえず胸を借りる気持ちでぶつかってみてください。英語の試験はつらいですが……
医師を目指した動機について
いや〜言ってるそばから三日坊主になりましたね。
まあ前の記事がちょっと読み応えあったので、そこはお許しいただいて……
受験勉強をする中でも毎日続けるのってほんと大変で(先日言いましたね)、ただある程度知識がついてきて習熟してくると、3日に1日は休んでましたね。特に入試日の合間合間などは、私の場合結構空いたりしたので、忘却曲線に従いながら記憶を維持する程度にしていました。まあ、英文は毎日サーッと読んでいましたが。読めると楽しくなってくるものです。
さて今日は私が医師を目指した理由についての話をしましょう。気になっている人も多いかと思いますが、ご期待に添えるほどのものかは……
簡単に私の生い立ちから始めますね。
結論から話すのがプレゼンの王道ですが、まあブログなので、ゆるく時間があるときにお読みください(今日はちょっと重めの話)。
私は医師の父と歯科医師の母の間に生まれました。私が生まれたとき既に両親ともに結構高齢で、一人っ子であったため特に父親からはかなり甘やかされて育てられました。
父は常に「医者にだけはなるな」「自分の好きな道を選べ」と言っていました。昨今問題にもなっている女性医師の風当たりが今よりもっと強かった時代の人でしたから、娘に辛い思いをさせたくなかったのでしょう。そもそも医師は男性にとっても楽ではない職業ですので、自分がしてきた苦労を負わせたくない気持ちもあったのだと思います。
一方母は自立心の強い人で、娘にも手に職をつけて働いてもらいたいと思っており、医者という職には割と賛成だったようです。ようです、というのは母が父に遠慮してあまり強く言わなかったので、幼い私にはよく彼女の心境がわかっていなかったためです。
そして私は父の強い言葉と、小学校当時からの算数の不出来から、単純に理系が嫌で文系に進みました。国語や社会は好きでしたし、親の言いつけも守れるし一石二鳥でした。こうして大学4年間過ごすまで文系を貫きました。数学は今でも苦手です。
大学4年の5月末、就活が名目上始まる直前という時期に父が亡くなりました。父は私が中学の頃から約10年、肝臓がんを患っていました。習慣的な飲酒による肝硬変が原因と思われます。
あちこち転移していたので切除は無理で、抗がん剤と放射線治療を行っていました。だんだん標準治療が効かなくなってくるといわゆる民間療法に手を出し始めました。高濃度ビタミンC点滴とか、よくわからない漢方とか、そんなんです。これがまたバカ高いしエビデンスもないので、私も止めたわけですが強行されました。点滴の方はなんか気分が良くなったらしいのでまだいいのですが、漢方のほうは効く前に亡くなったので分かりません。多分効かないです。
医者として尊敬していた父がそういうオカルティックなものに傾倒していくのをみるのはこちらもつらいものがありましたし、とはいえ本人の必死さを考えると全面否定もできずさらに暗い気持ちになります。
最後の2ヶ月くらいで急激に痩せこけていき、一日中寝ているような生活になり、入退院を繰り返していました。亡くなった当日ちょうど帰省する予定だったのですが、朝方亡くなった上に私は前夜のゼミ新歓明けで寝坊し、家から鬼のように連絡が入っていて泡を食って帰ったのを思い出します。
父が亡くなった直後就活にも身が入らないまま、大学4年の8月くらいに元職場にやっと内定をとりました。父の事業の書類などを見ていて元職場の仕事内容と繋がるところを感じたからです。仕事をしながら、心の隅で父の人生の終わりが彼にとって満足のいくものだったのか、また、自分がもし医師の立場で、父に何ができたら何をしただろうか、ということを考え続けていました。
思い出すに、父の闘病生活は傍から見て非常につらいものだったと思います。なにより好きなものを好きなだけ食べるということができません。制限だらけの食事、薬の副作用による食欲不振でそもそも食べるということがストレスだったようです。そういうイライラや治らない焦りから民間療法に頼っていったのも分からぬではないような気がします。
ただ私が医師として治療に責任を持てる立場なら、そういう不安までケアして最後まで一緒に治していきたかったなあ、そう思ってネットをぶらついていると腫瘍内科という科があることを知りました。これが医師という仕事が明確に目標になった瞬間でした。
腫瘍内科医は基本的に抗がん剤の投与によって患者のがんを治療する化学療法の専門家ですが、それだけでなく他科や他職種との連携、調整を総合的に行うがん治療そのものの専門医という認識です。ちょうどいまアライブという木曜ドラマでやっているそうですね。私がやりたいの、まさにこれじゃね?と思いました。
信頼される腫瘍内科医になって、民間療法に患者をからめとられることなく、患者を最期まで支えたい、患者や家族を出来るだけ苦しませずに、出来れば治し、出来ないなら最期まで安らかに、そういう気持ちが固まっていきました。サラリーマンとしての私よりよほど人の役に立てそうな気がしましたし、私もやる気になったわけです。
以上が医師を目指した理由です。
受験のときは「患者が民間療法に騙されないように〜」みたいなところをおしていきましたが本当は別にそこまで思っていません。民間療法は確かにお金も取られるし私も悔しいのですが(なーにが牛の睾丸をすり潰した粉末にウン十万じゃい)、本人が満足しているならそれはそれなりの価値がある、とも思っています。超絶コスパが悪いのでやはり最後の最後、標準治療で治らないところまで来てでしか手を出させたくないものですが。残る家族にも負担ですし。
身内の死とか病気のエピソードとかは文系の医学部受験だと(残念ながら)鉄板らしいです。ということは試験官は耳タコということでして、避けたほうがいいと言われています。ただ、もう私の場合これしかなく、私にとって大きな価値があったため、以上の話をコンパクトにまとめて面接で話せるようにしておきました。耳タコのネタであっても、やはり人間の死というのは聞くだけでも結構重いので、短くまとめるとそれなりに迫力があります。エクセルに質問と答えをまとめて、人に見せたり聞かせたりしてバージョンアップしていくとよいです。
ふうつかれた。
今日は死ネタありで申し訳なかったです。明日は富山の話でも書こうかな?
各科目の勉強について
なんとか3日目ですね。受験勉強していたときも毎日毎日続けるのは大変な苦痛でして、最長30日くらいしか続きませんでした。軌道に乗れば3日に1日は休んでも良いのですが、何事も最初が肝心です。
よくよく考えたら昨日の記事、両立したって言っても5ヶ月ですね、1年以上仕事と受験両立されてる方はすごいと思います。
今日は医学部編入の具体的な勉強方法についてお話します。基本的に予備校のテキストを軸に、高校範囲なら大学受験用のものを追加したり、TOEICやTOEFL対策の市販のものを用いたりしました。また、購入は概ねメルカリで行っています。
晴れて労働から自由の身となり、一日中勉強さえしていればよくなりました。
このあたりから基礎シリーズが終わって完成シリーズという、本格的な医学部編入の基礎編が始まりました。物理と化学は大学の1年生が学ぶ範囲、生命科学は編入試験の過去問をベースに勉強していきます。レベルとしては生命科学系の院試を想像してもらえばいいでしょうか。また、小論文の授業が追加されます。
物理と化学に関しては予備校のテキストをやりながら依然高校の範囲を繰り返し大学受験の問題集でやっていました。
やってたのはこれです。大体各3周くらいしたと思います。
結局医学部編入の入試で物理も化学も使わないことになるのですが、一応高校範囲は模試でそれなりの成績が残せています。とはいえ物理ばかりやっていて化学は……まあ、多少はね?
大学範囲は駄目でした(笑)力学の公式覚えるのが精いっぱいでした。覚えるようなもんじゃないのかもしれませんが。一応最後まで授業には出たものの、使えるレベルになりませんでした。
一応人から勧められたようにマセマとか読んだりしてたんですが、もはや参考書の問題ではない気がします。もっと根源的なレベルで拒否反応が出ます。
生命科学は要項集というヤフオクやメルカリで3万円は下らない素晴らしいまとめ本が配られますが、完成シリーズの時点ではまだ難しすぎて分かりませんでした。真価を発揮するのは翌年の春以降になります。
生命科学の勉強は、ひたすら授業に出て復習、これのみです。出来なかった問題の日付を書いていって次やる時は出来なかったところだけを繰り返します。全部出来るようになったら1週間くらいたったあとまた覚えてるかチェックします。これは受験が終わるまでずっと行いました。授業と別にまとめノートを作るとか、ワークブックという問題集もやり込むとか色々皆さんされますけど私はそういうところまでは手を出してないです。春からは要項集ばかりやっていました。それはまた別に書きますね。
英語はこの時期TOEICとTOEFLのスコアを取るために少し勉強していました。TOEICのほうが対策が簡単でスコアも取りやすく安いので、どちらか選べるのであればおすすめします。
TOEICは、金のフレーズで単語を覚え、公式問題集で演習を積み、最後に以下のようなテクニック本で小細工を覚えます。意外と大事です。
TOEICは2回目のほうが点数上がるとは言いますが、私は1回目の点数がまあまあ良かったためにだらけ、2回目で大幅に下がりました。お金が勿体無いので、やる気がないならなおさら一発で決めましょう。医学部編入では700あれば最低限です。800あったらもう受けるのやめていい(と言われている)ので……
TOEFLは……スコアが全くと言ってよいほど上がらなかった+点数が低いのであまりこれといえる対策がないのですが、公式問題集と旺文社の単語帳は有効です。少なくともリーディングパートをやり込めば25/30がとれました(私の場合)。
医学英語に関しては、予備校のテキストがそれぞれの大学の過去問をまとめて載せていたので、最低一日一題と決めて時間を測って読んでいました。分からない単語は抽出し、まとめて覚えたり覚えなかったりしました。医学のマニアックすぎる単語は注がつくので覚えなくて良いのです。予備校がターゲット1900を勧めていたので一応パラパラめくって知らない単語(大学受験したのにあるんですねえこれが)はまた抽出して覚えます。
また、医学の話題を英語で軽く読める、という点でおすすめなのがMedical News Today(Health News - Medical News Today)です。毎日新しい記事が出るので飽きませんし、長さもレベルもちょうどよく見やすいです。知らない単語は長押ししてぱぱっとググれますしね。私は毎日3本くらい読んでいました。
今日はこんなところですかね。医学部編入クラスタ以外にはちんぷんかんぷんかもしれませんが……
明日は勉強じゃない話に戻りましょうか
予備校と仕事の両立時代
受験勉強は1日17時間とかやって次の日休むより1日5時間くらいを毎日続けていくべき論者です。1日1時間でもいい。ブログも多分細く長く続けることに価値があるわけです。
読みやすいと反響を頂いたようでありがとうございます。まだ仕様等よく分からないので試行錯誤しながらやっていきますね。
さて今日は前回の続きで2018年4月の予備校生活の始まりから、退職するまでの話をします。
少し遡りますが、2018年2月に会社のオフィスが移転したのに合わせて自分も引っ越しました。
就職と同時に会社の近くに移住して自転車通勤していたのですが、1年足らずで会社が移転したことで、また引っ越すか、自転車で頑張って通うかの選択を迫られたわけです。そして自転車で通うには坂道が多く車も多かったためまず選択肢から外れました。事故怖いしね。
そもそも今私が住んでいるところも家賃高いし、会社の住居手当が出る範囲でより安いところに引っ越すか……と思い結局また引っ越すことにしました。会社に振り回されてるようで嫌だったのですが仕方ない。そうして選んだのが御茶ノ水で(御茶ノ水もそこまで家賃安くないんですが)、電車通勤することにしました。フレックスなので10時くらいの電車なら混雑を避けられると思ったのです。
仕事場と住居というほぼ生活のすべてを刷新した私ですが、これに予備校通いが加わってさらにストレスが加わっていきました。
基礎シリーズと呼ばれる高校範囲の習得期間は、火曜と木曜に物理と化学、土曜に生命科学の授業がありました。この平日の物理と化学は始業が19時で、仕事を18時に終えてすぐに出ないと間に合わないんですね。
先述のように職場はフレックス制を導入していて、私は11時出勤20時退勤が常だったのですが、火曜と木曜は頑張って9時出勤18時退勤していました。朝の電車もそうですが、仕事を終えて予備校に向かう電車も帰宅するサラリーマンでギチギチで非常につらかったですね。結局満員電車に乗る羽目になってしまい悲しかったです。
加えて物理と化学は初学だったため、内容がそもそもハードルが高かったです。何でも慣れれば問題は解けるようになると過去の経験から思っているんですが、物理も化学も慣れるまでに相当の時間と労力を要しました。
発狂でもしかかったのかテキストの問題に「これはやべえ」って走り書きしてありました。頭も相当やばかったんでしょうね。
そんなこんなで自業自得とはいえ一気に忙しくなり疲弊していった私ですが、唯一仕事時間だけは暇でした。語弊があるかもしれませんが、この時期私がやるべき仕事の量は少なく、1年経って慣れたこともあって午前中2時間くらい作業するともう終わり、という日もありました。とはいえ仕事中ですからテキストを開いて勉強というわけにはいきません。この時間を使って勉強したいのにできないフラストレーションと日々の焦りとで徐々に追い詰められていきました。
昼休みもTOEFLの単語帳を開き、たまに長く取りすぎて怒られることもありました(アニメ『NEW GAME!!』でもねねっちがうみこさんに怒られていましたが、就業時間中はちゃんと座っていることが求められます)。仕事がなくても無意味にパソコンの前に座って暇を潰していなければいけないというのはなかなか苦痛です。
そしてニートへ
6月くらいになって「ああもう無理だな」と何かが切れ、退職を決意しました。当時唯一の同期が一足先に退職していたこともあり、言い出しやすくはありました。ただやはり、上司にSlackで「少々大事なお話があるのですが、明日か明後日お時間頂けますか」と送ったときは緊張しました。
上司は後々推薦状の件でも登場しますが、頭も人柄もめちゃくちゃいい人です。Slackを送って直後に「え!?何!?絶対良くない話でしょ!?今からでいいよ!」と言われ、結局その場で医学部編入を目指していること、退職して勉強に専念したいことを伝えました。
上司は驚くと同時に喜んでくれ、「今度はもりす先生になって戻ってきてくれよ!」と言って応援してくれました。会社員の方はこういう反応は驚かれるかもしれませんね。ひどい会社だと笑われたり退職が認められなかったりするらしいです。
そこから2ヶ月間フルに働きました。辞めることを伝えてから私ができるギリギリ一杯の量の仕事が降り注ぎ、結構充実していました。前からこうだったら良かったな(笑
2018年8月末で円満に退職し、晴れてニートになりました。最終日に高熱を出して早退し、ちゃんと辞められたのは9月に入ってからでしたが(詰めが甘い)。
きりがいいのでまた明日、ニート時代の楽しい思い出を書くことにします。
受験を決意するまで
普段Twitterにいるのでブログとなると肩が凝りますね、文体も固くなってしまうし。
今回は受験を決めるまで私が何を考えていたのか思い出してみることにします。医学部編入の具体的な話は出てきません。
就職
2017年3月末、明日から労働が始まるんだ……という胃に鉛を突っ込まれたような気持ちと、まあ何が来ようとなんとかしてやろうという生来の傲慢な気持ちとを往還していた私は、普段放置しているFBのアカウントを開き、新社会人としての意気込み()みたいなものを書き込んでいました。ちょうど今のように。
就職先は小さなコンサルティングファームでした。代表がぐいぐい引っ張っていくベンチャー企業です。内定者懇親会も楽しかったし先輩もみんないい人そうだな〜と思ってワクワクしていたことを思い出します。
ですが仕事を始めて1週間で転職エージェントに連絡していました(えっ)
ここはあまり詳しく書けないのですが、「この会社でほんとに成長できるのだろうか?そもそもこの会社色んな意味で大丈夫なのか……?」と不安が募ったことが原因です。(今から考えるとこの時期にそこまで不安がる必要もなかったのですが、まあ自分のキャリアについて模索を続けていたことが医学部編入に繋がったのかもしれません)
とはいえ、新卒のぺーぺーがなんのスキルもなしに転職出来るはずもありません。
「何か身につけてから辞めよう」と思い、とりあえず目の前の仕事をこなすことにしました。会計ソフトの使い方とか、Excelでマクロを組んだりとか、「仕事をやっている風に見せるのも大事」とか、会社人(敢えてこの書き方)のノウハウを徐々に蓄積していき、それなりに仕事に慣れて楽しんでやっていました。気がついたら年を越し、また春になっていました。
契機
開業を志す医者や歯医者と関わることが多い仕事でした。彼らが夢を追い、思った通りのキラキラピカピカの診療所が出来ていくのはこちらもとても心躍るものです。それらの事例をいくつも見ていると、私がやりたいこととは?一生彼らの周りにいて助力するだけの人生とは?私の性格的にそれはつまらない、ではどうする?と考えて、医学部について調べ始めたのだと思います(このへんは記憶が曖昧)。
なんで医者になりたかったのかについては後日志望動機の記事とかで別に書きますね。
ネットで調べていると、ふと医学部編入予備校KALSの広告が目に入りました。医学部に編入という道があるのをここで初めて知りました。
「一年早く医者になれて、しかも大の苦手な数学を受けなくてもよい!?これは素晴らしいのでは!?」と思い、新宿校で行われた医科歯科の先生をお招きしてのセミナーに申し込み、後日受講を決めました。
(このときはまだ、まあ物理と化学初学やけど行けるやろと甘く見ていた+学習を始めるときや新学期にありがちな向こう見ずな勢いで、物理・化学コースを申し込みました。あと、チューターさんで元文系で同じように物理と化学初学で、これらの科目があった時代の医科歯科に合格されている方がいらっしゃったため、私もそうなりたいと思ったのです。今思えばこの方が優秀すぎるだけで、もう少し謙虚に科目を考えるべきだったのかもしれません。
結果的に物理と化学は高校レベルがやっとでした。話が脱線しましたが、この辺もまたおいおい書くことになるでしょう)
もう一度大学に入り直してキャリアを足踏みしてよいものだろうか?そもそもこれは受験であって、受かるかどうかもわからない、加えて私は文系で英語もさほど得意ではないし生命科学はやったことすらない(センター生物Ⅰはやりました)、何年かかるかわからないこの戦いに身を投じてリターンはあるのか?
色々と逡巡しました。幸い親も恋人も応援してくれました。しかし自分になかなか自信が持てなかったのです。保険をかけて、仕事と予備校同時並行でやることにしました。これが2018年4月のことです。
長くなったので仕事予備校両立時代はまたの記事にします。
自己紹介
2020年春から医学部に編入することになりました、もりすと申します。Twitterの医学部編入アカウントの方では膵臓と名乗っています。
このブログは私の1年余りの生活のまとめを備忘録的に残すとともに、受験生の方の参考になればと思い書き記すものです。
まずは簡単な自己紹介をします。
プロフィール
・20代半ば(後半とも言う)
・地方進学校と呼ばれる高校→旧帝大文系学部学士卒→約1年半会社員→退職して勉強だけする生活→2019年秋合格
医学部編入に関して
・選択科目:英・生・物・化→英・生(香川を受けた後に物理と化学を切りました)
・TOEIC:800点代後半
・TOEFL:恥ずかしくて公言できません。ただTOEFLが必要な大学に合格はしています。
・得意な科目:国語(特に現代文)
・苦手な科目:数学、物理、化学
・KALS受講生(物理・化学コース)
受験戦略や具体的な勉強方法、受験校での思い出、日々の雑感などを書いていく予定です。ちゃんと書けるといいのですが(不安)